何のために学ぶのか?

公開日 2012年01月26日

 「何のために学ぶのか」あるいは「何のために働くのか」と問いかける若者が多いという。たしかに、学ぶ目標や働く目標ないしは目的が明確であればあるほど人はより真剣にかつ効率的に学習や労働に勤しむことができるのは事実であろう。

 しかし、彼らの問いかけは実のところ、その目的や目標を問いかけているのではなく、費用対効果を問いかけているところに問題がある。つまり、彼らが問いかけているのは、「それを学んで何になるのか、自分にどういう利益を生み出させてくれるのか。自己の労働に対してどれだけの対価を得ることができるのか。」という経済的効果を問題にしているのである。

 先日の徳島新聞の文化欄でも取り上げられていたが、先ごろの高校や中学校での受験科目でない科目の履修偽装などの未履修問題にも繋がる問題だ。高校までの学びは人生や大学などでの学問や社会生活への基盤を形成する教養なのだ。教養や文化は「費用対効果」で取捨選択する事柄ではない。長い人生の地の塩なのだ。

 幸いというか、私のゼミナールには、そういう人は皆無である。目的意識を持って学ぶ人たちばかりである。自分の進路をできるだけ早期に決定できる人は幸せである。それだけ、ゴールを目指して、歩き始めることができるからである。

 しかし、また人生の半ばから、新たな道を歩き始める人たちもいる。学ぶことに遅すぎるという言葉はない。少し困難かも知れないが、真剣に取り組めは必ず道は拓ける。人生に不可能なことはない。最後までやり遂げる覚悟が必要とされるだけだ。