夢を抱き、明日を語れる未来を

公開日 2007年01月08日

 「歯科医大浪人生によるバラバラ殺人事件」が新年早々発覚し、奈良県での「医師一家放火殺人事件」との相似点の探求がTVで、心理学者、精神科医、法医学者、教育評論家によって、各局が競って放映している。両者に共通しているのは、加害者の精神構造の単純さと幼稚性である。奈良県の事例では、少年は放火後、逃走中に見知らぬ家に入り込みワールドカップを観戦していた。浪人生の事例では、バラバラ遺体を放置したまま予備校の合宿に参加していたのである。1つのことにこだわりがあり、それ以外の事象は思案の外にある。

 原因の探求も必要であるが、最大の要因は、この国の家庭と家族機能の不全にあるのではないか。もちろん、知識や学力の獲得も重要だ。それなくしては、専門教育の履修もできない。小学校、中学校、高等学校、大学や専門学校へと連なる教育の課程の中で、人は多くを学ぶ。教育は大別して、教養と専門教育の2群に分かれる。前者は専門教育の準備段階である。社会参加の前提条件となるべき重要な存在である。数学や英語、国語、古文、日本史、世界史、倫理、物理、化学、生物など、すべてが教養の1つであり、その専門が何であろうとも、身につけておくべきものだ。受験に必要ないからといって履修しない、未履修を履修したと強弁する。この国の教育は歪んでいる。人間性を高める教育をと願うのは私だけではないと思う。

 教科などの学習科目は学校や塾などに頼らざるを得ないであろうが、情操や倫理・道徳などの心の教育や社会参加のためのしつけなどは家庭の大事な機能の1つである。社会全体で、家庭を支援する制度の構築も急務だ。核家族化の増加で、家庭や社会の教育機能の伝承の齟齬を来たしている現状では、母親だけにその重責が集中する恐れがある。なによりも自己と他者の「命」の尊厳を教えて欲しい。

 先の両事例の共通するもう1点は、二人とも、学習に、あるいは試験に挫折したことである。そのことが事件を引き起こした一つの要素であることは確かである。仄聞するところでは兄妹の間に意思疎通困難な感情的な問題を抱えていたようである。兄への一方的な否定的言動が多かったと聞いている。兄にも又、その言動を受け止める心理的余裕がなかったのであろうと考えられる。挫折した2人の兄妹が互いに支え合い、慰め合う行動をとれなかったことが残念でならない。追い詰められ逃げ場のない兄が感情を爆発させた結果の悲劇である。受験の重圧が彼をそこまで追い詰めたのであれば、3浪の歯科大浪人生の場合、もし私の子供であれば、私は躊躇なく、志望校を変えることを提案したであろう。学力にあった歯科大へのランク下げも時には必要だ。「オール オア ナッシング」ではなく、私ならベターを提案する。挫折は傷ではなく、明日への希望を点すエネルギーなのだ。今はできないことも、明日ならできることもある。
 
 夢を抱ける社会と夢を語れる未来がある。幻想であったかも知れないが、私たちの時代には存在した、そのような時代が再び来ることを確信している。嵐の後には、穏やかな日々が来る。